行列のできるラーメン店の店長庭野仁司

庭野仁司は、小さい頃から無類のラーメン好きとして知られていました。庭野がまだ幼い頃、祖父の家に遊びに行くと、決まって近所のラーメン店の出前を取っていました。そのお店の中華そばを食べることが、幼少期の庭野にとって、もっとも幸せを感じる瞬間でした。

その後、中学に上がる頃、祖父がなくなり、その店の中華そばを食べることは無くなりましたが、同じサッカー部の友達の家が中華料理屋をやっていたこともあり、ラーメンへの熱は冷めない物になっていました。中学生ですからアルバイトはできません。厨房に入れてもらい、邪魔にならないようにお皿を洗うのを手伝ったり、スープをかき回す真似事をさせてもらっていました。

高校に入り、大好きなサッカーと並行してアルバイトをすることにしました。もちろんアルバイト先はラーメン屋です。そのラーメン屋はご主人と奥さんの二人だけで営んでいるお店でしたが、人気があり、開店と同時に狭い店内は満室になる程の盛況っぷりでした。そこで庭野仁司は、週に三回、サッカーの無い日には毎日アルバイトをしていました。

大学に入り地元を離れ、東京にでた庭野仁司は最初に食べ歩きをし、ラーメンの美味しい所を探し回りました。一カ月で食べた量が40杯を超えた頃、運命の店に出会いました。その店は、お客さんには優しいのですが、厨房に入ると態度が豹変し、仕事に厳しい店長のいる店でした。他の従業員もすぐに辞めてしまい、半年と持たないような環境の中で、庭野仁司は四年間勤めあげました。

最後の方になると、店長が庭野仁司をかわいがり、スープの仕込みまで教えていました。その店でラーメンのスープの仕込みができるのは、店長とバイトの庭野仁司だけでした。大学を卒業すると同時に、庭野は店長にのれん分けをお願いしました。今すぐには難しいけど、大学を卒業して1年間みっちり修行をしたらという条件でしたが、無事のれん分けを許可されました。

大学卒業後の一年は、実技はもちろん、経営のノウハウなどを学ぶ貴重な時間となりました。地元に戻り、店を開店し人気店になった今でも、毎月1回は、師匠の店を手伝いながら指導を受けています。幼少期から培ってきたラーメンに対する思いは、30歳を超えても変わることなく、燃え続けています。今でもラーメンに対する研究を行い、常に新しい物を作り出そうという意欲に満ち溢れています。庭野仁司が成功したのは、努力ではなくひとえにラーメンに対する愛情だと思いました。

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